おめでとうの日

 ――――うっかりしていた。
 月加は黒板に書かれた日付を見て、しばし固まった。今日は一年でもっとも面倒で厄介な日ではないか。それはバレンタインデーの比ではない。
 七月七日は許婚、七瀬の誕生日である。
 祝わないと何を言われるか。言われるだけならまだいいが、一日中デートとかいって連れ回されるのは御免だ。あの許婚はよくデートに誘ってくるが、その真意は謎である。こちらが好きだからとか、そういう理由でないことだけは確かなのだが。
 一番考えられるのは、嫌がらせだ。許婚は見かけは爽やかに見えなくもないのに、性格が悪いのである。
 それはさておき、誕生日だ。お祝いにはプレゼントがつきものである。
 しかし、たった今しがた気づいたばかりの月加にそんな用意があるはずもなく。
(なんという無駄な出費)
 そう思うが、買わないわけにもいかない。祝わないと何が待ち受けているか分からないというのもあるが、自分の誕生日に相手からきっちりプレゼントを貰っている(いらないと言っても押し付けられた)のだから。貰いっぱなしは借りがあるみたいで嫌だ。
 そういうわけだから、学校帰りに何か買わねばならない。育ちの大変よろしい許婚には安物のプレゼントなどできないのだが、幸い財布の中にはそこそこの額がある。月加はひとまずホッとした。
 まあ、仮に安い物しか買えなくても、中身で勝負すればいいだけのことだ。
 贈る物は、毎回さんざん悩んだが、許婚が文句を言ったことは一度もない。何だろうがありがたく受け取ってくれるところだけは評価できる。
(とはいえ去年のはさすがに……。今年はマシなもの用意しないと)
 去年も、月加は当日までその存在を忘れていて、慌てて用意したのだが。
 そのプレゼントは、その場にいた許婚の家族にも、後から話を聞いた月加の世話係・楓にも不評だった。面白がったのは当の本人だけである。
『さすが、お前は面白いものを選ぶね』
 何がさすがなのかは不明だが、男子高校生が貰って嬉しいものではなかったことくらい月加にも分かっていた。
 分かってはいたが、気がついたのが夕飯前だったため、つい家から一番近い店に駆け込んでしまったのだ。
 許婚の家は、基本的にみんな揃って食卓を囲むので、特別な理由なしに時間に遅れるわけにはいかなかったし、その夕飯時にプレゼントを渡すのが通例になっていたから。
 そういうわけで、急いでいた月加がそのとき買ったプレゼントは、パン屋の売れ残りのパンだった。
 ……いや、分かってはいた。それはないだろうと。だって自分がその年に貰ったのは腕時計だったのだ。まったく釣り合いがとれていない。そもそも釣り合う釣り合わない以前の問題である。中身で勝負するレベルでもない。
 でも、その時はコレしかないと思ったのだ。とにかく夕飯には間に合わせなければならなかったから。
 月加は何か良く分からないが、胴体の長い可愛い感じの生き物をかたどったチョコクリームパンと、これまた何だかわからないがタヌキっぽい生き物のキャラメルクリームパンを買った。
 許嫁はそれはもう面白がった。肩を震わせて笑っていらっしゃった。あんなに爆笑寸前の許婚を見たのは初めてで、月加はいっそ何も買わなければよかったと思った。
 その上、同席していた許婚の従兄弟には、こっそり「おまえ、これはない」と言われたし、許婚の両親には「あらあら。なかなかのチョイスね」「個性的なプレゼントだなぁ」とか暗に呆れられ、許婚の祖父には「そりゃなんじゃ」と率直に問われた。
 あとで知ったがその二つの謎の生き物パンは、子供の好きなキャラクターだったらしい。月加はアニメキャラに非常に疎い。楓には、「トトロ、録画したやつでよければ今度貸しますよ」と言われた。そういえばまだ借りていない。もう一つのほうはお腹にポケットをつけた動物だった。月加はそれを動物だと思っている。
「それではみなさん、気をつけて」
 と、教壇に立つ初老の女性教師が言った。
 いつの間にかホームルームが終わったらしい。月加はさっさと鞄を手にして昇降口に向かった。

   * * *

 いつものバスではなく街中で停まるバスに乗り、月加は制服姿のまま石畳に降り立った。街路樹がずっと遠くまで立ち並び、色々な店が歩道沿いに続いている。
 さて、何がいいか。バスの中でもずっと考えていたが、さっぱり思いつかない。これまではいつも食べ物を贈っていた。さすがにパンみたいな安物は去年だけだが。
 あの人は甘いものがわりと好きだから、大きなクッキー缶とかでいい気がする。いや、しかしそれは一昨年に贈ってしまっている。有名なケーキ屋のクッキー缶は、許婚とその家族におおむね好評だったが、同じものをまた買うのは芸がない。
 月加は考えながら、歩道の端に設置された木のベンチに座った。無意味にうろちょろする脚力は月加にはない。長く歩きすぎると鈍い痛みが左足を襲うから。
 その場から立ち並ぶ店を眺める。花屋があった。いっそ花束でもいいかもしれない。でも、花なんて男が喜ぶだろうか。許婚は、むかし華道を習っていたとか聞いたことがあるけれど、だからといって花が好きだという話は聞いたことがない。
 通りには、大きな本屋もある。そういえば、許婚はけっこうな読書家だ。でも、本は駄目だ。売り払うか捨てるかしない限り後に残る。月加は跡かたもなく手元に残らないものしかあげない。
 いずれ関係を解消するつもりの許婚に、いつまでも残るものをあげる気などない。向こうはそこまで考えていないのか、平気で腕時計とか本とかアクセサリーをくれるけれど。
 果物屋が、少し遠くに見えた。
 ああ、フルーツ詰め合わせはどうだろう。もう考えるのが面倒くさいので、そのあたりで決めてしまおうか。どうせ、たぶん、許婚は何をあげても文句は言わないし、それなりに喜ぶはずだ。
 そう考えて、月加は自分が貰った時のことを思い出した。
(……わたしはあんまり、ていうか、ぜんぜん喜んだことないな)
 いつも差し出されたプレゼントを見て、いらないと必ず言うし、無理やり押し付けらたら迷惑そうな顔もする。ありがとうは一応言うけど、笑顔で言ったことなんかない。そもそも許婚相手に自然に笑顔をつくったことなんかない気がする。
 別に嫌いな相手ではないが、素直になることが憚(はばか)られる、そんな相手だから。
 プレゼントをもらうのは、嬉しくないわけではないが、そんなことなど忘れてくれていいと思う。月加は自分の誕生日などどうでもいい。どちらかといえば祝ってほしくない。
 良い思い出などない日だ。だから、許婚の家族もプレゼントはくれるけど、お祝いを派手にしようとはしない。静かにそっとおめでとうを言ってくれる。
 本当は、おめでたい日などではない。
 両親の命日に、おめでとうも何もない。
「……果物でいいか」
 呟いて、立ち上がった月加は、ふと歩道の向こう側に見慣れた許婚の後ろ姿を見つけた。
「あ」
(女連れ)
 月加は二、三度瞬きして、その光景をじっと見つめた。
 いつの間に新しい彼女ができたのだろう。気づかなかった。
 それこそ、おメデタイではないか。奮発してメロンでも買ってやろうかしら。
 相手は許嫁と同じ学校の制服を着ている。手は繋いでないけど、仲良く並んで歩いていた。身長差は自分よりもお似合いだ。
 これで、自分が許嫁の役目を下りられる程の相手ならよいのだが。
 歴代の彼女にはどれもそこまで入れ込まなかったらしく、七瀬がそんな話を出すことはなかった。
 だから、今度こそお役ご免になれるほど、七瀬が相手を本気で好きになればいい。
 あの人にふさわしい相手はいくらでもいる。そうではない自分が、いつまでも傍にいるのはおかしいのだ。
 そのとき、七瀬と並んで歩く少女が、彼の手を握ったのが見えた。二人の姿はもう遥か彼方だが、手が繋がったのは分かった。
 今、七瀬はどんな顔をしているのだろう。
 ふと、そう思った。
 月加は許婚の姿を追うのを止めて、正反対の方向へ進み始めた。
(……メロン買いに行こ)
 そうだ。
 許婚が、あまり好きではないものを。
 

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