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第七章 星が宿る

    * * *

 レスターとエリスが初めて出会ったのは、ヘルムートと出会うより前、確かレスターが十で、エリスが七つの時だった。
『困ったときは、これに即相談せよ』
 当時まだ存命だった祖父が、コレットとケンカしたあげく寝込んでいたエリスの枕元に、レスターを連れて来たのが付き合いの始まりだ。
『か弱いそなたのために、このじいが頼んできたのだ。これからは困ったことがあれば、なんでもこれに相談するがよい。そなたを助けてくれるぞ』
 と、祖父が笑って言ったのが、つい昨日のことのように感じる。
『これの祖父はじいとリリアナの古い友人での、五日前に湖の向こう側に移り住んできたのだ』
『おじいさまと、おばあさまのお知り合い……』
 リリアナという名の祖母は、残念ながらエリスが物心つく前に亡くなっていて、顔も覚えてはいなかった。だから、祖父だけでなく彼女とも関わりがあると言われれば、孫として自然と興味が湧いた。
 それに、隣人ができたというのは本当に嬉しいことだった。それまでエリスが遊んでいた近所の子供たちは、『近所の』と言っても、ひ弱なエリスの足で簡単に会いに行けるような距離には住んでいなかったから。
 でも、この子は目と鼻の先にある湖の向こう側に越して来たのだと言う。エリスは友達になりたいと素直に思い、もっとちゃんと話が聞きたくて、のろのろとベッドの上に起き上がった。
 けれど、少年は祖父の向こう側に立ったまま興味なさげにこちらの様子を眺めていて、目が合うと片眉を器用に上げて無表情にこう言った。
『幸薄そうな面だな。お前、しょうもない相談したら張っ倒すぜ』
 その直後、彼は祖父に頭を叩かれた。
『なにしやがるジジイ!』
『口が悪いぞ小僧!』 
 二人はそのまま喧々ごうごうと言い合い、エリスはそれがひと段落つくまで大人しく待っていた。まるで本当の祖父と孫のようだった。そのときばかりではない、エリスはそれ以後も時々そんな風に感じることがあった。今から思えば、二人とも他人同士であるのにまったく遠慮がなかったせいだろう。
 エリスは慣れない粗野な態度の少年に戸惑いながらも、祖父が傍にいてくれるので勇気を持って話しかけてみた。
『えっと、オルスコットさん』
 しかし、彼は露骨に嫌そうな顔をして言った。
『呼び捨てか、レスターでいい。さん付けとか止めろ。気色悪ぃ』
 エリスは慌てて頷いた。
 彼女の周りにはこんな風にきつい物言いをする人はいなかったので、慣れるまでしばらくは、いちいち心臓に打撃を受けていた。そんな時はたいてい祖父がじろりとレスターを睨み、拳骨を食らわしていたけれど。
 この時もがつんと二発目を食らわすと、祖父は自分の隣にレスターを無理やり座らせた。間近で見る彼の瞳は本物の琥珀のように透き通った色をしていて、とても綺麗だったけれど、目つきが最高に悪かったので台無しだった。
『あの、レスターさ……。じゃなくて、えっと、レスターくん?』
 そう改めて呼びかけたら、彼は本当に、心の底から嫌そうな顔をしたので、エリスは「くん」付けも駄目なのだと悟った。
『れ、れすたー』
 初対面の人に馴れ馴れしい気がしたけれど、呼び捨てにしたら今度はちゃんと『何だ』と返事をしてくれたので、 エリスは安心しながら訊いた。
『あの、今いくつ?わたしは七つなの』
 その頃、幼いエリスは相手への呼称にはかろうじて気を遣っていたのだが、敬語まではうまく話せなかったので、 とたんにくだけた調子になったしまった。
 でも、レスターはそれには何も言わず、短く『十』とだけ答えてくれた。
 一つ答えが返ってくると、後はもう質問のオンパレードだった。
『どんな魔法を使うの?』から始まり、『お空は飛べる?わたしも魔法が使えたら、お空を飛ぶのになぁ』という空想にまで及んだ。
 レスターはエリスのお喋りに無表情に、淡々と答え続けていたが、最終的に『お前、うるせえ。訊きたいことがあるなら、箇条書きにして手紙で送ってこい。俺はもう帰る』と苛々しながら言葉通り帰られてしまったのだった。
 エリスはしょぼんと己のお喋りを反省して落ち込んだが、祖父はそんなレスターに『今度おしおきだ』と怒っていた。
 それから、レスターのことについてもっと詳しく話してくれた。
『レスターの祖父は魔法使いでな、あれ自身もその修行をしておるのだ。だから並みの子供とは訳が違う。年若くして自分の身は自分で守れるし、他人を守る力も備えている。今はまだその力は低いが、いずれあれの祖父同様に、自分と他人とをしっかり守れる強い人間になるだろう。それを見込んで、じいはそなたのために契約を交わしてきたのだ』
『けいやく…?』
『さよう。“求めあれば力となり、時に剣となって闘い、時に盾となって守る”。そなたが困った時は、レスターが知恵を貸す。力が欲しい時には、レスターがそなたの手足となる。危険が及んだ時には、レスターがそなたの身を必ず守り、闘う。そういう契約を交わした』
『おじいさま……、でも、それだと』
 レスターばかりを大変な目に遭わせてしまう、と言ったけれど祖父はまるで気にしてくれなかった。
『無理に交わした契約ではないぞ、エリスや。魔法使いが己の力で以って契約を交わすのは、よくあることなのだ。流派によっては、主がいて初めて一人前と認められる場合もあるらしい』
『レスターにも、わたしの相談役になって良いことがあるの?ちゃんと、そんな大変なお仕事に、えっと』
『困難に見合う利益があるかどうか?答えは何とも言えぬな。今はまだ』
 祖父はにっこりと微笑んで、確かにそう言った。『今は』と。
 ならば一体いつ、どんな利益がレスターにもたらされるのだろう。
 給金は無論、祖父の命で伯爵家から定期的に支払われていたから、たぶんそれ以外のものだ。祖父の『何とも言えない』という答えには、レスターが他の何かを得られるといった意味合いが、確かに含まれていたから。
 というか、そもそもエリスは契約が未だに有効なのかを知らない。
 祖父が亡くなって、その時なんとなく切れたのだと思っていたけれど、レスターに確認したことはなかった。彼はつねづねエリスを助けるのは仕事だからだと言っていたから、それなしでは関わりを絶たれそうで訊くに訊けなかったのだ。
 まぁ、エリスが答えを知らなくても、レスターがそうしようと思えばいつだってこの縁は切られてしまうのだけれど。
 エリスとしては、今後もあいまいにしておきたいと思う。彼はヘルムートとは違う意味で大好きな、失いたくない人だから。
 でも、それゆえ分からないのだ。レスターが今でも関わってくれているのは、契約が続いているからなのか、それとも友人だと見なしてくれているからかなのか―――――。

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