十五歳の読書録B

 ヘルムートはすやすやと眠っているエリスの寝顔を眺め、そっと栗色の頭を撫でた。
 遊びに来たはいいが、本人が例のごとく寝ついていたのである。侍女が言うには、なんでも夜遅くまで本を読んでいて、風邪を引いたのだとか。
(どうして身体が弱いくせに、そういうことをするかな)
 彼女は意外に無謀な性格をしている。前からうすうす感じていたが、最近ようやくはっきりした。このあいだ身体を鍛えるためとか言って、エリスは侍女や護衛を伴ってピクニックに出かけたらしいが、山に辿り着く前に倒れ伏したという。ヘルムートはそれを聞いたとき、らしくもなく唖然とし、彼女には身体が弱いという自覚がないのかもしれない、とかなり本気で心配した。
 まあ、いくらなんでもそれはないだろうが、自覚があるのにチョロチョロしたがるのは余計に性質が悪い気がしてならない。
「はやく元気におなり」
 囁いて、額に口づけた。
 深い意味はない。
 習慣的なものだ。ヘルムートはこの栗色のふわふわした髪を撫でたり、柔らかな頬や愛らしい額にキスするのが好きなだけ。
「ん…?」
 ヘルムートは、ベッド横の小さなテーブルに一冊の本が置かれているのを見つけた。青い装丁の、見覚えのある本だった。
 確か今、王宮で話題になっている恋愛小説だ。金髪に青い瞳の王子リカルドも、「流行りものには一応目を通したくなる」とか何とか言って、笑い転げながら読んでいた。ロマンス小説にそんなに笑う場面があるとは思えないが。
(エリスもこういうのに興味があるのかな……?)
 いつまでもあどけない風情の子だから、何となく違和感がある。ヘルムートは本を手にとって、ぱらりとめくった。
「………………。」
 ざっと目を通し、ぱたんと閉じる。
 ヘルムートは本をテーブルの上に戻し、そのまま自分の家に帰った。

   * * *

「ヘルムートさま」
 嬉しそうに自分の姿を見て笑ったエリスの膝には、例の青い本があった。昨日の今日だから、彼女はまだベッドの上だ。
 ヘルムートも「やあ」とにっこり微笑みかけ、かばんから五、六冊の本を取り出した。どれもこれも少女向きの可愛らしい挿絵のついた、童話集だ。それをエリスのベッドの端に並べる。
「わぁ……すてきな絵!あの、中を見てもいい…?」
「もちもん。きみのために持ってきたんだよ」
 昔、父親の姉が持っていたもので、幼い頃にはヘルムートも乳母から読み聞かせてもらった覚えがある。
 エリスはわくわくした様子でページをめくっていく。「かわいい」
「見て、ヘルムートさま。妖精が描いてあるの。それに、こっちは動物が輪になってダンスしてる。それから……」
 彼女の興味は、本文よりも先に挿絵にいったようだ。名のある画家が描いているから、まぁ当然の反応だろう。
 ヘルムートは満足した。本への反応もそうだが、無邪気に喜ぶエリスとの間に、いつもうっすら敷かれている遠慮という名の壁がなくなっていることにも大変満足した。
「気に入った?」
「うん……!」
 その満面の笑顔と素直な返事には、ちょっとクラッときた。―――――こんなに純真な子を本能的に押し倒しそうになった自分がコワイ。
 ヘルムートは代わりに頭を撫でる。そう、これでいい。かわいいエリス。
 なでなで、とされて俯いているエリスの頬が、ほんのり染まっていることには気づかない。
「というわけで、この青い本は没収」
「え?」
 ヘルムートはさっとテーブルの上にあったそれを取り、立ち上がった。
「きみにはまだ早いよ」
「え、あ、あの、でもコレットが貸してくれたの。だから読まなくちゃ」
「面白かったの?」
「………んと、あんまり」
「じゃあいらないでしょ。王立図書館のだし、僕が代わりに返しておくから。バーンズ嬢にもそう伝えておいて」
「でも、あの、ヘルムートさま……それ、コレットもまだ」
 困りきった顔のエリスの言葉を遮るように、頬に軽いキスを落とし(単なるお別れのキスだ)、ヘルムートは「また来るよ」と言って伯爵家を後にした。

 

Cにつづく  

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