あちらとこちら 前編

 ヘルムートは機嫌が悪かった。
 朝っぱらから第一王子リカルドに呼び出され、何かと思えば『あしたから隣国に短期留学するから、お前も来い』という迷惑極まりない用件だったからだ。
 ヘルムートは断った。リカルドが人の予定を無視することはよくあることだが、まさか留学までもがその内に入るとは。しかも出立は―――あした?
『ふざけんな』
 ヘルムートがその美貌で無表情に怒っても(『普通にわかりやすく怒っているよりよほど怖い』とリカルドの弟には言われたが)、金髪に青い瞳の兄王子は微塵も気にしなかった。
 この第一王子の神経の図太さは、並大抵ではない。まあだからこそ、素のヘルムートと付き合っていられるのだが。ちなみにそれは、逆の場合も同じことが言える。
『ふざけてないさ。お前は俺の唯一の学友で親友だ。留学に同行するのは別におかしなことじゃないだろ』
『親友って、だれとだれが』
『お前それを真顔で聞くのか。傷つくじゃないか』
『きみの鋼の心臓がそうそう簡単に傷つくとは思えないけど』
『俺はな、ヘルムート。よかれと思って誘ってるんだぞ。留学はお前にとってもいい勉強になるから』
 そう言って良い人ぶるリカルドに、ヘルムートは片眉を上げた。
『よかれと思って?だったら普通に前もって誘えばいいだろ。―――リカルド、本音を言え』
『だってお前。前もって誘っていたら、面倒くさいとか言って断ったあげく、俺が出立する日まで捕まらないように姿を隠すだろう?』
 その通りだった。
『その点、ぎりぎりで言えば逃げようがない。ああ、準備なら心配するな。こっちで用意してあるから』
『一人で行け』
『つまらんからやだ』
 しばし二人は無言で睨み合い、―――結局折れたのはヘルムートだった。
 リカルドはこうなると一切引かない性格だと、よく知っていたからである。



 さて、そんなわけでヘルムートは機嫌の悪いまま短期留学することになった。今はリカルドと共に旅の馬車の中である。
 滞在期間に隣国までの往復の移動時間を加えると、およそ三ヶ月間の拘束。不機嫌にもなる。
「ヘルムート。その天使づらで怒ると迫力満点すぎる。免疫のない他国の女官を怖がらせることになるぞ」
「怒らせた本人が言うな」
 馬車はのどかな花畑の横を通り過ぎるが、景色を楽しむ気分にはなれない。
 リカルドがちょっと意外そうに言った。
「―――正直、お前がそこまで入れ込んでいるとは思わなかったな」
「なんの話?」
「しばらくお姫さまに会えないから、こうまで不機嫌になっているんだろう?」
「……お姫さま?」
「俺が調べさせたところによると、たしか名前は『エリス』ちゃん」
「気安く呼ぶな」
 イラッとしながら反射的に返して、ヘルムートはそういえば彼女に何も言わずに出立したことに気がついた。
 出会ってこの方、三ヶ月も会いに行かなかったことなどなかったのだが。
 留学のことを伝えておくべきだったろうか。
 しかし、急なことだったし、留守にするのは半年とか一年の話ではない。たった三ヶ月のことだ。
(……まあ、いいか)
 何か約束をしていたわけでもないし。ただヘルムートが気まぐれで会いに行っていただけなのだから。
 そう思った。
 思った、が――――。
(……手紙くらい、書こうかな)
 異国の絵葉書を送ってあげたら、きっと喜ぶだろう。
 エリスのふんわり微笑んだ可愛い顔を思い出すと、ヘルムートの気分はようやく上向き始める。
(うん、それがいい)
「なんだ、急に機嫌が直ったな」
 リカルドが不思議そうに言ったが、ヘルムートはその理由を言わなかった。



『エリスへ
元気にしてる?もし熱でも出して寝込んでいるようなら、退屈だろうけど大人しくしているんだよ。きみはすぐ無理して絵を描いたりするんだから。
絵といえば、珍しい色の絵の具を見つけたから、お土産に買って帰るよ。楽しみにしてて。
ではまた。

       ヘルムートより』



『親愛なるヘルムートさま
綺麗なお城の絵葉書、すごく嬉しいです……!
わたしは元気いっぱいなので、心配しないで下さい。ヘルムートさまもお身体には気をつけて下さいね。
お土産うれしいです。たのしみに待っています。
それから、帰って来たら、旅のお話たくさん聞かせて下さい。

        エリス』



『エリスへ
本当に元気?字が震えてたけど。具合悪いなら無理して返事を書かなくていいよ。
三ヶ月後に帰国したら、お土産持って会いに行くからね。きみが元気な姿で迎えてくれると嬉しい。

       ヘルムートより』



『親愛なるヘルムートさま
可愛い羊の絵葉書ですね…!侍女のメアリもそう言って、頂いた絵葉書をベッドの横に飾ってくれました。


わたしは無理なんてしてないです!とっても元気ですよ。ほんとです。
その証拠に、今日はスケッチに行きました。場所はお家の近くの湖です。レスターのお家の近くでもあります。
メアリと護衛のヴァルに付き添ってもらいました。
午後のお茶を用意してもらっていたので、レスターも招きました。
レスターは甘いものが好きだから、お菓子もあるよ、って言ったら、今日はすぐにお家から出て来てくれました。
外でのお茶は楽しくて、いつもより美味しく感じました。
ヘルムートさま、そちらは楽しいですか?異国の方々とは仲良くなれましたか?
そちらの方は、どんなふうに午後を過ごすのでしょう。

        エリス』



『エリスへ
身体が弱くて、めったに外出しないきみが、湖にはスケッチに行くなんて初耳だったから、少し驚いたよ。


『今日は』ってことは、あいつの家にもよく行くってこと…?へえ。それも初耳だな。




―――ていうかきみ、僕の家には一度しか来たことないよね。


……まあいいけど。

       ヘルムートより』

 

つづく  


 

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