銀色のとけない魔法

 目が覚めると雪が降っていて、窓ガラス越しに見る庭が真白の世界に変わっていた。
 今年はじめての雪だ。
「わぁ……」
 毎度の事ながら熱を出して寝込んでいたエリスは、ベッドの上から横になったまま雪景色を眺めた。
 大人しくしていなければならないことは分かっている。
 でも、しばらくするとどうしても我慢できなくなって、少しだけ、と起き上がった。
 そうすると眠る前には重かったはずの身体が少し軽くなったように感じて、それに気持ち悪いのも治っているし、とにかく起き上がっても大丈夫な状態だと思った。
 エリスはふらふらよたよたと歩き、庭へ続くテラスの窓を開け、室内履きのまま冷たい世界に足を踏み出した。
 雪はまだうっすらと芝を隠す程度にしか積もっていない。でも歩くとちゃんと足跡がついた。
 エリスは立ち止まって空を見上げた。不思議な光景だった。灰色の空から次から次へと視界を埋め尽くすほどの白い欠片が降ってくる。ちょっと口を開けてみた。冷たい欠片が入り込んで、ふにゃ、とエリスは微笑んだ。
「あ、そうだ」
 雪だるまを作ろう。
 エリスはわくわくしながら芝や植木の上に積もったわずかな雪をかき集め、冷たさでかじかむ手を必死に動かして丸く形を整える。
 その間にエリスの上にも当然のことながら雪は降り積もっていく。
 でもそんなことを気にせずせっせと頭部分と胴体部分を作っていると。
「馬鹿かおまえ」
 と、聞きなれた男の子の声がした。
 振り返ると、深い紺色の外套に雪を纏ったレスターが立っていた。傘代わりにフードをすっぽりと被っている。
 琥珀色の綺麗な瞳に呆れを滲ませる彼に、エリスは「レスター」と笑顔を向けた。
「どうしたの?こんな日に。―――あっ、あのね、いま雪だるまを作っているの。もう少しでできるよ」
 思わぬ友達の登場に嬉しくなって、にこにこしながら真っ赤になった手の上の、二つの丸い雪玉を見せる。あとはこれをくっつけて、目や口をつけるだけ。
 手のひらサイズの小さなそれを見下ろしたレスターは、エリスの頭や肩に積もった雪を無言で払う。少々乱暴な手つきだったけれど、エリスは大人しくされるがままになった。
 それから彼はエリスの手から雪玉を取り上げて、窓枠に二つとも置いてしまった。
「あとちょっとだけ……」
 どうもこれは部屋の中に戻されそうだと思ったエリスは言い募ったけれど、レスターに「大人しく寝ろ」と睨まれて、その有無を言わせぬ雰囲気に押されてしぶしぶ従った。
「おい病人、暖炉の前」
「え?」
 濡れた室内履きはテラスで脱いで、裸足のままベッドに戻ろうとしたら、レスターはそっちじゃないだろとエリスの背中を暖炉のほうへと押しやった。
 わずかに燃えていた暖炉に向ってレスターが何事かを唱えると、ボッと炎の勢いが増し、あっという間に温かさが増してくる。身体がかたかた震えていたことに、今さら気がついた。ずいぶん冷えてしまったようだ。
「俺は魔法薬も勉強中だけどな。まだお前のアホが治る薬は見つからねぇんだ、悪ぃな、お姫」
 と、変な嫌味を言いながら衣裳箪笥を開けていたレスターに、「着替えとけ」と寝間着を放り投げられる。
「レスター、どこ行くの?」
 部屋から廊下へ続く扉を開けたレスターに声をかけると、彼は手にしていた紙包みを見せる。
「熱さまし、執事にでも渡しておくから昼食後に飲ませてもらえ」
「うん。ありがとー…」
 言い終わらないうちにレスターは廊下に出て行った。
 エリスはもそもそ着替えることにする。
 くしゃみが出た。
 これでまた熱が上がることになったら、侍女のメアリにぜったい怒られる。エリスは想像して震えた。
 でも、それでも雪で遊んでみたかった。
 エリスは身体が弱いから、毎年雪が降っても外出を許してもらえない。
 許されるのは、せいぜい窓枠に積もった雪を触ることだけ。当然、それだけだと物足りなかった。前にコレットに聞いてから、ずっと作ってみたかった念願の雪だるまを今年こそは作れるかと思ったのに。
 エリスはがっかりしながら冷たくなった両手をさすり合わせた。今年の内にまた作れる機会が来ればいいな、とレスターに呆れられたばかりだというのに性懲りもなく考える。
 そのうちに、暖炉前の絨毯に座りこんでいたエリスは次第にウトウトし始めた。
 こんなところでうたた寝したら、またレスターに「馬鹿」って言われる。
 そう思ったけれど、睡魔には勝てなかった。

   * * *

 次に目覚めると、部屋の中が陽射しで明るかった。
 あれ?と思いながら窓のほうを見ると、そこには青い空。雪なんて、まるで降っていない。
「お嬢さま、お目覚めですか?」
「あ、メアリ」
 ベッドの反対側を見ると、侍女のメアリが心配そうに立っていた。
「ご気分は?」
「ん……と、だいじょうぶ」
「よかった。お腹はすいていませんか?何か少し食べておかないと」
「うん。じゃあ、少しだけ」
 にっこり笑ったメアリがいそいそと出て行くと、部屋の中がしんと静まり返る。
 雪の中を外に出て行ったのはまだバレていないようで、何も言われなかった。というか、いつの間にか暖炉の前からベッドの中にいるし、雪が降っていたのもレスターに会ったのも、もしかしたら夢だったのかもしれない。
 窓から見える樹木にも、雪など積もっていないし―――――と、エリスはあるものを見つけて驚いた。


 夢なんかじゃなかったんだ。


 きっとあれからすぐに雪は止んでしまって、薄く積もった分は真昼の陽射しに溶けてしまったのだろう。
 確かに一瞬だけ雪景色がそこにあった証しが、窓枠の上にちょこんと乗っていた。
 真っ白な丸い玉が二つ積まれた身体に、木の実の赤い目、小枝でできた両手と引き結んだような口。
 さんさんと降り注ぐ陽射しにも溶ける様子がない小さな雪だるまを、誰が代わりに完成させてくれたのかなんて考えるまでもなかった。
 魔法のかけられた特別な雪だるまは、それから三日間も陽射しの中からエリスを見守っていた。

 

おわり  



おまけも読んでみる!


 

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