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第一章 公爵家のゆううつな日々

「セドリック……、ヘルムートさまは今日もお仕事に出かけられるの?」
 食事の後、執事である老人に問うと「はい」と返答されて、エリスはがっかりした。
 王宮で第一王子の補佐をしているヘルムートは、あまり休みをとらないのだ。そんなに働いて、大丈夫なのだろうかと思うくらい。
 身体のことで心配されるのは自分の専売特許のようなものだったが、エリスは自分のことよりもヘルムートのことが心配だった。
 たくさん働いて疲れているはずなのに、家でゆっくりと安らぐことのない彼が……。
 エリスはそれを自分のせいだと思っている。ヘルムートが自らの家で安らげないのは、長く過ごそうとしないのは、まったく妻らしくない自分がいるせいだと。
 だから、仕事が終わるとその足で他の女性のところに出かけてしまって、いつも翌日の早朝に帰宅するのだ。おまけに、たまの休日もふらりと一人でどこかに出かけてしまう。たぶん、友人か女性のところ。
 その方が、彼は心置きなく過ごせるのだ。こんな妻のいる家で過ごすよりも。
(やっぱり、『どこにも行かないで』なんて言えない……)
 外にいる時の方が心置きなく過ごせて、他の人といる方が安らげるのなら、自分はそれを彼のために受け入れなければならないのかもしれない。
 ――――でも、そんなのは無理だ。分かっているのに受け入れられない。彼が家を空ける時間が長いことを思うとどうしたって悲しくなるし、永遠に帰って来なくなるのではないかと想像しては心配でたまらなくなる。
 ずっとずっと、彼のことばかりを考えて、一緒にいてほしいと思ってしまう。
 もっと近づきたいと思ってしまう。
 それなのに、自分は彼と過ごすわずかな機会も活かせないで、何も変えられないでいる。
 普通の日常会話すらも思うようにできず――――。
(今日は、どんな人のところに行くんだろう……)
 そこで彼は、どんなふうに振舞うのだろう。
 もっと話して、もっと笑って、楽しそうにしているのだろうか。
 想像すればきりがない。
 どんよりと食堂の椅子に座ったままのエリスを見て、セドリックが穏やかな笑顔で声をかけてくれる。
「奥さま、私でお力になれることがありましたら、どうぞなんなりとお申し付け下さいませ」
「……ありがとう、セドリック」 
 この公爵家の人々は、とても優しい。
 エリスはほんの少し笑った。
「でも、なんでもないの。平気だから」
「さようでございますか……?」
 今度は心配そうに訊かれたけれど、エリスは「大丈夫」と強がりを言った。
 彼とのことは、自分で何とかするしかない問題だから。
 エリスはとぼとぼと食堂を後にすると、玄関ホールへと向かった。
 彼はもう出かけてしまっただろうか。
 あてもなく玄関ホールに行ってもどうしようもないことは分かっているのだけれど、何となくエリスの足はそちらに向かった。
(たまには奥さんらしく、お見送りしたいな……)
 そう思って、ふとお見送りどころかお出迎えすら、結婚してから一度もしたことがないことに気がついた。自分が恥ずかしい。そんなので、奥さんだなんて言えるだろうか。
 ただでさえ、夫婦らしい行為もしたことがない間柄だというのに。
『エリス。あなたの旦那さんね、言いにくいんだけど、まだ女遊びを続けてるって噂があるの……。ねえ、うまくいってないの?』
 コレットが訪ねてきて、そう教えてくれたのは結婚してふた月めのことだった。
 その時すでに、当時この屋敷にいたお喋り好きの女中から、エリスは彼が浮気していることを聞いていたし、もともと女遊びの派手な人だという噂も耳にしていたため、再びコレットの口から聞いてもさして驚くことはなかった。
 ただ、とても悲しかっただけだ。
 エリスは彼を恨みに思ったことはない。浮気をしていようと何だろうと、彼はいつも優しくて、エリスに冷たく振舞ったことなど一度もないし、こうして良い暮らしをさせてくれている。感謝こそすれ、そんなふうには思えないのだ。
 けれど、自分だけを特別に気にかけてほしいとは思う。たとえそれが高望みだと分かっていても。
 ぼんやりと歩いていたその時、真正面の廊下から聞きなれた足音が聞こえてきて、エリスは足を止めた。
「エリス?」
 久しぶりに名前を呼ばれて、頬がじわじわと熱くなる。
 どうにもままならない……。
 一緒にいると色々と後ろ向きなことを思って、たまらなくつらいのに、それでもやっぱり彼の顔を見ると嬉しくて胸が高鳴るのだから。
 

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