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第八章 ふたつの食卓

 初めに入ってきたときには登場に驚きすぎて気づかなかったけれど、コレットはトランクを提げてきていたらしい。
 足元においていたそれを開いて、「じゃーん」とエリスのドレスを掲げて見せた。見覚えのある、淡い色合いのものだ。
「今日はこれを届けに来たの」
「わぁ……ありがとう」
「エリス、さっきからお礼ばかり言ってるわよ」
「だって」
 何度お礼を言っても足りないから。
 けれど、感謝と同時に、不法侵入という言葉に不安がちらつく。
 誰にも見つかっていませんように、とエリスは友達の名誉のために祈った。男爵令嬢がよその家に侵入して服を運び出していたことが世間に知られたら、とんだ醜聞になることくらい、いかに世間知らずでも想像がつく。
 自分のために友達をそんな目に遭わせるわけにはいかない。
(神さまコレットの不法侵入はわたしのせいなんです。おゆるしください)
 なかば本気で祈りを捧げていたエリスに、当の本人はまるで平気な顔をして話しかける。
「サイズが合えばわたしのでもよかったんだけどね。あ、二着しかもって来られなかったけど、これでよかった?他のドレスがいいなら、もう一回忍び込んでくるけど」
「う、ううん!わたし、この二着がお気に入りだから」
 お気に入りも何も、ろくに外出することがなかったので、もう一着には見覚えすらなかったのだが。まさか二度も三度も公爵家に忍び込むような真似をしてもらうわけにはいかない。
「それで?いつ帰るの?」
「具合がよかったら、レスターが明日送ってくれるって……」
「なんだ、そうなの?まぁ気持ちの整理がついたなら、早いほうがいいわよね。でも、そうとなると最初に着ていたドレスが一着あれば、替えはいらなかったか」
 コレットの言葉で、あれっ、とエリスは思い出した。
 そういえば、レスターにそのドレスのゆくえを確認するのを忘れていた。この部屋の中には見当たらないままだし、どこに置いてあるのだろう。まさか処分はしていないだろうし。
 豊穣祭の日に地面に座り込んだりして汚れていただろうから、もしかすると洗ってそのまま別の部屋で保管してくれているのかもしれない。居間にはなかった気がするから、レスターの部屋だろうか。
 それから、あの日身につけていた髪飾りなんかもたぶん――――。
(かみかざり………………?)
 どうして忘れていたのだろう。
 さーっと、エリスの顔から血の気が引いた。
「エリス?どうかした?」
「う、ううん……」
 エリスはどきどきと鳴る心臓の辺りを押さえながら答えた。きっと大丈夫。あれもレスターがドレスと一緒に保管してくれているに違いない。落としたりなくしたりしたわけじゃないのだから、騒ぎ立てなくても大丈夫。
(でもあとで必ず、レスターに確認しなきゃ)
 エリスは無理やり笑う。
「あ、えっと、せっかくだから、明日はコレットが持ってきてくれたドレスを着て帰るね」
「別にどれ着てもいいけど……、そんなことより顔色悪くなってるわよ、エリス。もう一回横になる?」
「ううん、へいき。大丈夫」
「そう?」
 コレットは少し訝しげにしていたが、エリスが何ともないふりを続けたので、やがて諦めて言った。
「無理しちゃダメよ」
「うん」
 頷いたエリスの髪を、彼女はひと撫でした。
 そうして見つめてくる眼差しは、同じ年なのにうんと大人びているようで。
 時々お姉さんみたいに感じる。
 飴色の瞳でエリスの緑の瞳を覗き込みながら、彼女はやさしく言った。
「自分の中の弱虫に勝つのよ、エリス」
 その言葉は、強く胸に響いた。

   * * *

 コレットはさほど長くいなかった。
 エリスはもっといてほしかったけれど、
『ここの魔法使いさんがわたしの分のお昼まで用意してくれると思う?思わないでしょ?ここ数日来ていた人間に、勝手に入ってくるなって言って睨むような心の狭いケチなのよ?てわけだから、わたしもお腹空いたし家に帰ろっと。じゃあねエリス。――――今度は公爵家に会いに行くわ』
 と言って、さくっと帰ってしまったのだ。
 それから数分もしないうちに、レスターがやってきた。
 半分だけドアを開けて、中には入らず廊下から言う。
「昼飯できたから来な」
「うん、―――あ、レスター…!」
 すぐに閉じられようとしたドアに向かって、エリスは慌てて声をかけた。
「待って、訊きたいことが」
「?」
 訝しげな顔をしたレスターが、もう一度ドアを半分ほど開いた。その場に佇んだまま、こちらを見る。
 エリスはベッドの上に起き上がった状態で、どきどきしながら続けた。
「あの、豊穣祭の日にわたしが着ていたドレスと――――身につけていた、髪飾りのことなんだけど」
 花と小鳥を模した、翡翠のはめ込まれた髪飾り。
 豊穣祭の日に買ってもらった大事なそれを思い描くと、エリスの胸は切なく疼く。

『ああ、中々いいね。きみの瞳とお揃いで可愛いよ』
 
 そう言って、彼は優しく微笑んでくれた。
 本当にうれしかった。
 だから、もし失くしていたら絶対に探し出すのだ。
 そんな決意を固めるエリスに、レスターは「ああ……あれか」と言った。
「ドレスは洗って俺の部屋に置いてある。この部屋だと、かけておくものがないからな。箪笥にはじいさんの服が入ったままだし」
 と、彼は部屋の隅にある古い箪笥を見た。
 確かに、このおじいさまの部屋には他に服をかけておくようなものがない。
「帰り支度するときに渡してやるよ」
「ありがとう……あの、それで」
「髪飾りなら―――」
 レスターは言いながら、顎でくい、とベッドサイドの脚の低いテーブルを示した。その上には木の小物入れが置いてある。
「明日忘れずに持って帰れよ」
 エリスの返事を聞く前に、レスターはドアを閉めて先に居間に行ってしまった。
 こんなに近くにあったなんて。
 おじいさまの手作りだろうか、小物入れの蓋にはルイーゼに似た猫が彫られていた。そっと蓋を開ける。
 そこに、ちゃんと彼女の髪飾りは入っていた。
 真昼の陽光を浴びて、それはあの日のように美しく煌めいた。











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