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第九章 雨の中

 エリスが何か言葉にするより早く、ここまで静観していた少女が挙手と共に答えた。
「はい。それわたし。ゴメンナサイ。ちょっとした誤解があった」
 とても潔い謝罪に、ヘルムートはじろりと少女を睨む。
「叩き出されたいのか?」
 が、彼女はまるで堪えていない様子で言う。
「そうしたら、アナタのほうが困るんじゃない?」
「何?」
「だって、アナタが短期間でわたしを発見できたのは、わたしが自分からここに来たからであって、その優秀なおつむが活躍した結果じゃないでしょ。分かっているよね?わたしがこのままパッと消えたら、もう二度と見つけられないよ。雲隠れには自信がある。そうなると、アナタはとても優秀だけど、友達の頼みだけは満足に果たせない残念な人になるねぇ。矜持の高いヘルムート・ラングレー、アナタにその不名誉が許せるの?」
「昔から思っていたが」
「うん?」
「きみは僕らのことを性格が悪いというが、はっきり言ってお互いさまだ」
 低い、低い声だった。
 平気な顔をしている少女の代わりに、聞いているだけのエリスのほうが怯えてしまう。
「心外だなぁ。わたしはアナタたちのように学友を無意味にいびり倒したり、善良な側仕えを胃痛で入院させたり、某大臣がヅラであることを大勢の前で暴露したり、教師陣を秘密のネタで脅して自由時間を確保して観劇に出向いたりしてないよ。きわめて良い子だよ」
 ヘルムートは鼻で笑った。
「よく言う。王宮一の問題児と言われている人間が」
「世界一じゃないだけカワイイもんでしょ」
 話がずれていっている。
 ヘルムートはそれに気づいたようで、呆れたようなため息を漏らすと、会話をやめてエリスのほうに視線を戻した。目が合って、どきりとする。
 彼はもう怒っているようには見えなかったけれど、ひどく淡々とした口調で言った。
「……一応紹介しておくよ。これはジーナ・シュロー。僕の友人の友人だ」
 微笑みもなかった。
 ずっと、今まではやさしく微笑んで、穏やかな口調で話してくれていたのに。
 そのことに気づいて、エリスの胸は大きく痛んだ。
 少女が口を挟む。
「ねぇ、それ『僕の友人』でいいんじゃない?」
「僕ときみは友人だったのか?」
「違うっけ」
「…………」
「…………」
 なんだか妙な沈黙が流れた。
 エリスはその間に、ヘルムートをそっと見つめた。
 彼は無表情に近く、少しだけ眉間にシワが寄っていた。
 視線はまた少女のほうに向けられていたけれど、それがふいに自分のほうに戻りそうになって、エリスは慌ててパッと下を向いた。
 その拍子に、ヘルムートの手が頬から離れる。
 いや、彼が自分から離したのかもしれない。
 少し間を空けて言った。
「ともかく―――彼女は少し、いやだいぶ言動のおかしなところがある。本人を前に言うのもなんだけど、かなりの変わり者だ。きみが何を言われたか知らないけど、初対面の人間にも平気で毒を吐くのがこれの習性だ。気にする必要はない」
「アナタ後半ひとのこと言えないでしょ。ていうか、ホントに本人を前にものすごい言いようしてくれるね。失礼だなぁ」
 当の少女はその紹介の仕方に不満そうだったけれど、本当にそう思っているようには聞こえなかった。フリだけでそうしているように見える。
(ジーナ、さま……ヘルムートさまと、仲良いんだ……)
 それも、昔からの付き合いがあるようだ。
 エリスもかなり小さなときからヘルムートと知り合いだけれど、この人の話は聞いたことがなかった。王宮という単語があったから、第一王子の学友を務めていた縁で知り合った人なのかもしれない。
 自分の知らないことを親しげに話している二人に、疎外感とさみしさを感じた。
 田舎育ちのエリスは王宮には一度も行ったことがない。
 だからヘルムートが第一王子の学友を務めていたことを知ってはいても、王宮がどんなところで、王子や周辺の人々とどんなふうに付き合っていたのかはまるで分からない。ときどき話してくれた断片的な情報だけで、想像するしかなかったのだ。
 でもこの人はちゃんとその場にいて、彼と共通する思い出を持っている。
 エリスの知らない彼を知っている。
 友人の友人、と彼は言ったけれど、それにしてはとても親しいし、二人の間には遠慮というものがない。









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