chocolate(2)

「こんにちは、エリス」
「こんにちはヘルムートさま」
 お出かけの次の日だった。
 ヘルムートがいつものようにふらりと遊びに来てくれた。
 エリスは引き続き身体の調子が良くて、今日は温かな日差しの降り注ぐ窓辺で、庭の絵を描いていた。
 きのう画家に貰った猫の絵は、ベッド横の小さなチェストの上に飾ってある。家に帰ってよくよく眺めてみると、その猫はレスターの家のルイーゼに似ている気がした。花畑の中で丸まって眠っている絵なので、はっきりとは分からないけれど。
「きょうは元気そうだね。はい、お土産」
 ヘルムートが微笑みながらくれたのは、白い箱にピンク色のリボンのついた箱だった。
「ありがとうございます……開けてもいいですか?」
「うん」
 なんだろう、とわくわくしながら開けると、中に入っていたのは八つの丸いチョコレートだった。
「わぁ……、おいしそう」
「今日はヴァレンタインだからね」
 にこやかに言われたエリスは、あれ?と静止した。
 それは確か、好きな人にあげる日ではなかっただろうか。
「ヘルムートさま、あの、これ、わたしが貰ってもいいんですか……?」
「きみに買ったものだから、きみがお食べ。僕はいらないから」
 その言い方は、ふつうのお土産の時と同じだった。
 他意はないのだとエリスは納得し、ぱくんと一つを口に入れた。「おいしい」
 ふにゃりと笑うと、ヘルムートも満足げに笑ってくれた。たったそれだけのことが嬉しくなる。
 でも、ちょっとがっかりした。
(………がっかり??)
 自分で思っておいて、なぜそんな風に思ったのかわからない。
「あ、そうだ。ヘルムートさま、少し待っていてください」
「うん?」
 エリスはチョコレートの箱をテーブルに置くと、いそいで部屋を出て行った。といっても、走ったら具合が悪くなるので早足程度だ。

   * * *

 毎年毎年よくもまぁこんなくだらない行事ばかりがあるものだとヘルムートは思う。
「お前また忘れていたのか」
「ああもうウッカリね。知っていたらこんな日に王宮なんかに来なかったよ」
「人の家をなんかとはなんだ、なんかとは」
 リカルドのもとを訪ねたら、開口一番そんな会話になった。
 ヘルムートは王宮に着いたとたんに少女たちに押し付けられた品物を、リカルドの部屋の隅に投げ捨てる。
「おい」
「処分よろしく」
「持って帰れ!」
「なんで要りもしないものを僕がわざわざ家まで持って帰らなくちゃならないんだ」
「なんで要りもしないのに受け取ったんだ。というか俺の部屋にその要りもしないものを置いて行くな。ゴミ箱か」
「似たようなものだろ。それに問答無用で押し付けられただけだ」
 そりゃもう返す言葉が出ないくらいのすばやさで、かつ強引に。
 少女たちはヘルムートが贈り物を受け取ってくれないことを知っているので、無理やり押し付けるか自宅に送りつけてくるのである。
「それは気の毒に。だからといって一国の王子の部屋をゴミ箱扱いするな」
 リカルドはやれやれと言いながら、ごろりと長椅子に寝転がった。
「で?」
「『で』?」
「お前の田舎のお姫さまはどうした」
「なにが」
 田舎田舎と言うな、とヘルムートは眉をひそめた。あそこはそんなに田舎ではないし、静養地としては一応有名どころである。馬鹿にされるような場所ではない。
 その不愉快顔に気づいたリカルドが、手を左右に振った。
「べつに馬鹿にしているわけじゃないぞ。事実田舎にいるからそう呼んでいるだけだ。だってお前、俺がエリスちゃんと呼ぶと怒るし」
「黙れなれなれしい」
「ほらな」
「ティアーズ伯爵令嬢でいいだろ」
「長い」
 『田舎のお姫さま』も大して変わらない長さである。
 ヘルムートはそう思ったが、聞き流してとりあえず話の続きを促した。
「もういい。で、なんだって?」
「だから、そのお姫さまからはないのか。今年も」
「なにが」
「愛のチョコレート」
「さぁ」
 ないんじゃないの、と答えながら、ヘルムートはリカルドの向かいの長椅子に腰かけた。
「どうしてないんだ?」
「知らないよ。別にいらないし」
「嘘をつけ。貰ったら嬉しいくせに」
「僕はそれほど甘党じゃない」
「甘かろうが辛かろうが食えないものだろうが、お前なにかしらお姫さまから貰ったら、後日わざわざ俺に『エリスから貰った』とか言って自慢しに来るだろうが」
「黙れなれなれしい。あの子の名前を呼び捨てにするな」
「………もうホントに面倒くさいなお前。それでなんで自覚がないんだ」
 よく分からないリカルドの言葉は無視して、ヘルムートは彼の侍女が用意したお茶を飲む。
「たぶんエリスは知らないんじゃないか?都で流行っている異国の行事なんて」
「田舎だもんな」
「田舎言うな」
 もし知っていたら、彼女ならくれる気がした。『バラの日』みたいに、親愛の証として。
 しかし自分から教えたら、まるで催促しているみたいである。
「………確か男から贈ってもいいんだよな」
 呟いたら、その目的を察したリカルドから、呆れたような視線を向けられる。
「そうまでして貰いたいのか。他の女のは捨てるくせに」
「エリスからなら貰ってもいい」
 というか欲しい。
 話しているうちに、本気で欲しくなってきた。
 可愛い笑顔つきなら尚良い。
 そんなことを考えていると、リカルドが言った。
「俺は万事において鋭いはずのお前の、その自覚のなさが怖い」
 なんでそんなに肝心なことには鈍いんだ、と。

 

3につづくよ。  


 

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