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第六章 レスターの家

 エリスの実家とレスターの家があるセロンという小さな町は、王都の外れにある。森と湖、山に近いのどかで閑静な土地だ。
 王都中心部では「田舎」と馬鹿にして呼ぶ人もいるけれど、エリスはずっと自分の生まれ育ったところが好きだった。静かで、空気が澄んでいて、そこにいるだけでホッとするから。
 セロンの中でも、エリスとレスターの家は町のはずれにポツンと建っていて、聞こえてくるのは教会の鐘の音や鳥の囀りくらいだった。夜などは、ささやかな明かりが遠くにぽつりぽつりと見え、エリスはレスターが越してくるまでそのことを淋しく思っていた。
 両親は時おり近所の子供たちを招き、一緒に遊ばせてくれていたけれど、正確には近所ではない。軟弱なエリスの足では、彼らの家には簡単に遊びに行けなかったからだ。
 町の子供たちにしてみても、エリスの家まで来るのは面倒らしく、自らすすんで来てくれるものはいなかった。エリスが病弱で、体力のいる遊びができなかったことや、寝込むことが多かったことも理由に挙げられるだろう。
 その点、レスターは本当のご近所さんで、たびたび家に来てくれた。彼の家はエリスの実家のすぐ傍、小さな湖と木々を挟んだ向こう側にあるので、エリスのノロノロ歩きでもさほど時間をかけずに辿り着ける。
 おまけに、家の二階の窓から覗けば、レスターの家の煙突が見下ろせて、煙が上がっていると「いま夕ごはんかな」などと様子を知ることができた。友達のいなかったエリスには、そんなささやかなことが楽しくて仕方なかったのだ。
 レスターの家は、ヘルムートの公爵家やエリスの実家である伯爵家と比べると、当然のことながらかなり見劣りして小さい。貴族でないことを抜きにしても、たぶん町のどの家よりも小さく、「ほとんど小屋に近い」と彼自身が言うように、粗末な外観をしている。
 けれど、家の中は見かけに比べて意外なほど快適に作られていて、部屋も三部屋あるので、二人と一匹の暮らしには十分な広さがあった。今は、その内の一人と一匹が亡くなってしまったので、レスター一人が暮らしている。
 彼の祖父も猫のルイーゼも、二年前に亡くなった。おじいさまが亡くなった後、レスターを訪ねたエリスの前で、彼が「一人だとちょっと広すぎだな」とぽつりと呟いたのが哀しくて、今でも忘れられない。
 エリスもレスターのお茶目なおじいさまとルイーゼのことが大好きで、特におじいさまのことは本当の祖父と同じように思っていただけに、深く落ち込んだものだ。自分の祖父も亡くなったばかりだったので、悲しみは二倍だった。
 それでも立ち直れたのは、同じように悲しいはずのレスターが平気な振りをして、エリスに「いつまでもめそめそするな、うざい」ときつい言葉ながら、励ましてくれたからだ。自分だけが落ち込んでいるわけにはいかないと思った。
 でも、それからしばらくはレスターの家に行くとおじいさまやルイーゼとの思い出が蘇って、おまけに涙まで溢れ出た。エリスはそんな時、レスターにバレないようにそっと涙を拭ったのだった。
 悲しみは、時間が経つにつれて淋しさだけを残して薄れていった。レスターの家に詰まっているのは、悲しい思い出なんかではなく、楽しい思い出ばかりだったから。
 彼の家は、住人が住人なので物珍しい物で溢れかえっていた。魔法使いの使う不思議な道具や、見たこともない文字で書かれた書物、一人でに動くホウキやちりとり……。子供の頃には何度も遊びに来た。エリスは彼の家が大のお気に入りだったのだ。
 ――――そのレスターの家にお世話になり始めて、四日が過ぎようとしていた。レスターは湖の向こう側、木々の合間からわずかに見えるエリスの実家には、エリスが戻ってきていることを知らせなかった。エリス自身もヘルムートとのことを両親に告げる気力と勇気がなかったので、その配慮はありがたく思っている。
 一方、公爵家からは――――ヘルムートからは本当に何の音沙汰もなく、このままエリスが戻らなくても構わないようだった。

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